大洗ゴルフ俱楽部

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大洗ゴルフ倶楽部訪問記


大洗のコースを注意深くプレーすると、16番ホールを除く17ホールが、海岸線と並行して造られている事に気付く。それには理由がある。

コースを包む黒松の林帯は初期の徳川幕府が、大洗海岸の防風、防砂のために植林したものだ。戦後手入れされないまま荒廃し、賑わうのは海水浴の夏だけだった。
ゴルフ場を造れば、松林は整備され、一年中来場者も増えると考えたのが、霞ヶ関CCのメンバーの友松洋治茨城県知事だった。計画は霞ヶ関CCの重鎮、
藤田欽哉に伝わり、設計はその弟子、井上誠一に決まる。

反対も少なくなかった。最後まで残ったのが、「黒松の魚付林を無くしたら、魚がいなくなる」という反対だった。魚付林とは魚が寄ってくる林のことだ。魚は暗い所に
棲む習性がある。岸辺に影を落す黒松林を取り払ったら魚が逃げてしまう。幸いこの漁業者の要望は井上誠一の"砂丘と黒松は最大限残す"というコンセプトと
見合った。18ホール中17ホールを海岸線と平行に走らせることで、黒松林の姿は残り、漁民たちの
魚付林は保存された。昭和27年9月着工、
29年10月25日本開場。

大洗ゴルフ俱楽部には、井上誠一の設計美学が込められている。特に「砂丘地の自然地形を残す、黒松林を自然の障害物とする。人工的造形を避ける、
裸砂地をラフとする。グリーンは1グリーン」などを強調している。自然から生まれる戦略性をもった草書型ゴルフ場の典型として、日本には数少ない
シーサイドリンクス、「得難い日本ゴルフコースの宝物といえる」と書きつけている。

あれから50年。大洗海岸も変わった。平成3年2月、ベントと高麗のコンビネーションワングリーンが、オールベントのワングリーンに生まれ変わった。改造は
井上誠一を最も良く知る設計者、大久保昌が担当。平成10年10月には、日本オープンが開催され、4日間の平均ストローク75.16、コースレートを
0.76ポイント上回り、難コースぶりを再認識させた。

「美しい日本のゴルフコース」より・・・