JFE 瀬戸内ゴルフ倶楽部

7458y(6985/6414y) Par72


OUT

IN

何が悲しゅ〜て、翌週にJGTOのサードQT会場となった当コースを強風の中、スピード 10.2フィート、
コンパクション 23、刈り高 3.5mmというグリーンコンディションで回らにゃ〜ならんかったのか!?

そんな中でもチャンピオンティより少し前のティ( 7286y Par72)を4日間で-2のカウントバックで
闘う彼たちに拍手!です。

《全英への道》をひらく日本のリンクスコース

「全英への道」は、言い換えれば“リンクスランドへの道”である。今年で140回を数えるジ・オープン、全英オープンゴルフは、140年間リンクスランドのコース以外で開催されたことはない。
 1998年(平成10年)以来、JFE瀬戸内海ゴルフ倶楽部が、全英への道を標榜するミズノオープンを開催しているのは、自身のコースをリンクスコースと任じているからであろう。
 日本のリンクスコースはいつから始ったか。主役は設計家加藤俊輔である。

 「伊豆ゴルフ倶楽部は、あなたにとっての芥川賞、瀬戸内海ゴルフ倶楽部はさしづめ直木賞ですね」と設計した加藤俊輔氏に語りかけたことがある。
 瀬戸内海Gが開場した頃、平成3年頃の思い出だ。伊豆Gは昭和61年開場、加藤俊輔の独立第一作であった。
 (因みに、文学の世界では、芥川賞はすぐれた処女作品に与えられ、直木賞は流行作家として合格のお墨付きといわれる表彰であった)
 以来加藤設計コースは80を超え、その間彼の仕事に貫しているのは、“リンクスランドへの熱い憧憬”であった。

目立った大木の一本もない伊豆半島の丘の茅場に立ったとき、加藤の中でスコットランドのリンクスランドが連想された。荒ぶる海岸線と肥沃な内陸の農耕地との間をつなぐ(リンクする)不毛の土地、
そこで人びとは羊を放牧し、動物たちが去った冬には、羊たちが造った穴と石と棒キレで遊ぶことを考え出した。それがゴルフの起源である。
 昭和60年前後の数年、日本のゴルフ界では、リンクスランドを模倣したマウンド群やポットバンカーを乱用したスコティッシュ憧憬を売り物にした新設コースが流行したことがある。
それは加藤俊輔が伊豆Gで表現したリンクスコースの影響だった。

そして瀬戸内海ゴルフ倶楽部である。
 リンクスランドの地形は、海岸を洗う風と波の強さを反映する。北部スコットランドのロイヤル・アバディーンや『リンクスランドへ』の著者、M・バンバーガーが、最後に探り当てたクルーデンベイは、
北海の荒波を映してフェアウェイの起伏も大きく、マウンドも重り合い、前のグリーンの上を打ち抜いてゆくシーンなど、荒ぶっているが、南部フォース湾近くのコースは、
穏やかな海面を映して展開も穏やか、セントアンドリュース・オールドコースがそうである。

 瀬戸内海は、内陸の海、多島海だから海面は静かである。従ってコースも全体として平坦、荒ぶった表情は少ない。但し設計者の意識の中には“荒ぶったリンクスランド”のイメージは、
あるわけで、その投影はいくつか感じられる。 たとえば2番ホール(517ヤード・パー5)のグリーン前150ヤードに造られた二つのマウンドは、ロイヤル・アバディーンで見られたグラス・マウンドである。

 4番ホール(448ヤード・パー4)のティから150ヤード地点にも、同じような風姿のグラス・マウンドが二つ並んでいて、スコティッシュ風を強調している。生えている草は、雑草に近いがヒースに
似たライ麦系のもので、いかにもリンクス調である。別の見方をすれば、このコースでは二つのリンクスが感じられる。

一つは、1〜4番、10、11番ホールがそうであるように、クリークや池のないホールだ。これらの姿は、エジンバラ周辺フォース湾からセントアンドリュースを
中心の穏やかなリンクスランドを映したものだ。もう一つは、米国アリゾナ州やパームスプリングスで、P・ダイがデフォルメしてみせた新しいリンクススタイルの姿である。
瀬戸内海Gのうちワシントンパームを植樹したホール、アメリカンスタイルの長く白いウエストエリアを伴走させたホール、ハウスに近い池越え9番を中心の7、8番ホールなどが、そうだ。
スコットランドのリンクスランドとは異種のアメリカン・リンクス風である。

日本鋼管が造った人工島

スコティッシュ・リンクスコースには、長く古い歴史がある。それはスコットランドという古く独特の原自然を離れては語れない。
瀬戸内海Gには、同じリンクスコースを志向しながら、歴史がない。白紙である。設計者は歴史あるリンクスランドではなく、人工島という白紙に、18ホールズの絵を書いたのである。

 コース用地は、日本鋼管福山工場に隣接して、工場用地あるいは製品置場として造成された海岸の埋立地115万平方メートルの中にある。福山工場に近い14、15番ホール付近は、
造成の10年前に埋め立てられたものだが、最も遅れた18番、1、2番ホールは、コース造成と併行して埋め立てられた。「設計図を書いたとき18、1、2番ホールはまだ海でした。
海の上にコースをデザインしたのです」とオープン当時加藤設計者は語っている。

 開場後5年も経つと、埋立てがおくれた1番、7番などのハウスまわりは沈下がすすみ、1番ティと平行するカート道が約80センチもズレてしまった。
しかし自然の沈下は、戦略的ないたずらもする。7番グリーンは、左奥へ流れる傾斜になっていたが、さらなる沈下で、スロープの線が微妙に進み、
面白さは設計図を超えたという評判も出た。

 18番ホール(536ヤード・パー5)は、左側に入江の海を伴走させたスリリングなホールだ。今年のミズノオープン第3日石川遼プロが、鮮やかな2オン、イーグルを奪ったように、
人気ホールである。開場当初は、右ラフのマウンド列がやや高く、フェアウェイも海側への傾斜がもっとあったように思い出される。
右ラフ、マウンド列の地盤沈下で第1打のランディングゾーンが少しフラットになったのだろうか。とはいえ瀬戸内海Gの土地は、まだ生きているのである。

 「5年、10年の間に沈下したり隆起したりする箇所が出る。それをある程度計算して造っています。しかし10年後には、もっと自然らしさが出ている筈です」
 と、設計者加藤俊輔は語っている。そしてあれから20年、加藤氏も健在、これからも自然は動く。つれてさらなる戦略度、コース風致をめぐる再設計、改造が行われ、
“ジャパニーズ・リンクスコース”として深化することを期待したい。

(追記) 当コースは、1998年(平成10年)から2006年(平成18年)まで、《全英への道》ミズノオープンを開催していたが、
一時中断、今年2011年から再び開催が戻った。ミズノオープンの成績上位4名(他の有資格者を除く)が、全英オープン本戦に招待される特典がある。
なお当コースは、日本ゴルフツアー機構提携コースである。

所在地     岡山県笠岡市鋼管町19−2
コース規模  18ホール・7214ヤード・パー72
コースレート  72.8
開場年月日  平成3年4月29日
設計者     加藤 俊輔

田野辺 薫氏の「名門コースめぐり」より・・・