名古屋ゴルフ倶楽部
和合コース

6557y Par70(C green) / 6410y par70(N Green)






 和合コース誕生の秘話

 昭和40年前後の戦後第2次ゴルフブームの頃、東京丸の内のオフィス街では、「名古屋支社勤務になれば、ゴルフのハンディキャップが一年で5つアップする」と、
本社勤めの社員たちを羨しがらせた時期があった。ゴルフ場も多く、勤務も本社に比べれば少し余裕がある、というわけだ。ゴルファー天国のように思わせるエピソードだが、
もともと名古屋は、ゴルフ後進地だったようだ。

昭和3年、東京には東京GC駒沢コース、大阪には茨木CCがあったが、名古屋にはナシ。京都の山科コースまで汽車で3時間ゴトコトと早起きして通っていたのである。
「3大都市の一つで、名古屋だけにゴルフ場がないのは恥だ」と名古屋財界を中心に、奮起して造ったのが名古屋ゴルフ倶楽部和合コースである。

場所は、名古屋東郊外約20キロ、東郷村大字和合字ドンドロの15万坪。都心から地下鉄鶴舞線赤池駅下車、タクシーで5分。ドンドロとはいわくあり気な地名だが、
CBC役員のメンバーの一人に訊ねてみたことがあるが、「私にも分りません」だった。元皇室御料林だった土地だが、15万坪では、少し手狭。昭和3年頃は、これでもよかったのだろうか、
と納得してみたが、やはり難点の多い工事だったようだ。設計の大谷光明氏は、西本願寺門主伯爵 大谷光尊の三男、英国在留経験が長く、
日本ゴルフ界のコース設計とゴルフルールの先覚者だ。その人が現地をみてのお託宣は、「ゴルフ場には無理だ」だった。

用地は、狭いだけでなく、土質が小石混じりの粘土質で、「これでは芝が根づかない」と、大谷氏は渋ったが、ゴルフ場がないのは日本の
3大都市ナゴヤの恥と、地元の熱意は更に燃える。土質が悪いのならと、礫質土の上に、陸軍砲兵隊の厩舎から、分けて貰った馬糞1200キロを敷き詰めて、
その上に芝を植えるなど難工事をやり遂げて、昭和4年9月15日、18ホールの和合リンクスが完成、開場した。

短く、狭く、変化も多い。だがしかし・・・歴史に残るドラマも多い

 18ホール・6063ヤード・パー69。和合は短い、狭いという人がいた。今も居る。グリーンが小さい、固い、バンカーが深い、トリッキーなホールが多い。
そんなぼやきの一方で、300ヤードドライブの長打だけでは征服できない多彩な戦略的仕掛けと自然の変幻がある。その結果和合コースでは、
変化が多いだけドラマも多く生れるのだ。

主な人気ホールを挙げると、1番(368ヤード・パー4)からいきなり打ち下ろしの1オンチャンスだが、似たような地形、構成のホールとしては、16番(397ヤード・パー4)の、
左の森を越えて打つ大胆な打ち下し1オンチャンス狙いが有名である。グリーンに1オン着地しても、表面が堅いのでバウンドしてオーバー、ボギー、ダブルボギーもある。
ジャック・ニクラスはほどの人でも、ここで9を叩いている。最近は、グリーン前のバンカーに打ち込んで、そこから寄せてのバーディが狙い目のようだが・・・、

思わぬドラマが生れたのは、昭和64年日本オープンの最終日、17番(175ヤード・パー3)の池越えで、身長を越える深さの左バンカーに入れたジャンボ尾崎が、
見えないグリーン上のピン・ホールに直に入れてバーディ、優勝をさらったシーンだった。

筆者が推奨するのは、大谷光明が、“中山道”と名付けた12番(356ヤード・パー4)である。高いティグラウンドから見下ろすストレートに伸びたフェアウェイは、
かなり深く左傾斜している。両側には這松様の深い松の樹林、それを上から樹海のように見下ろして打つ第一打は、このコース一番の美観そして腕の見せ所だ。
狙い目と球道を誤たず打たないと2オンどころか3オンも難しくなる。

海外のコースに詳しい川田太三氏(設計家。JGA常務理事)は、8番ホール(402ヤード・パー4)を、「このホールはデリカシーがあって好き、16番、18番よりも8番こそ
和合を代表するホールだ」という意見だ。ピンの位置によっては、フェアウエイからでないと寄らないケース、逆にラフから打ってグリーンをオーバーしてもピンに寄せ、
バーディをとれるケースもあるというプロの意見もある。

大きい、中日クラウンズの足跡

 和合コースといえば、中日クラウンズである。昭和35年以来50年の長い歴史を重ねている。優勝者の中には中村寅吉、青木功(5回優勝)、尾崎将司(5回優勝)の名とともに、
ピーター・トムソン、グレッグ・ノーマンなど世界ゴルフ史に名を残した名手、強豪の名も連っていて、歴史の深さを感じさせる。この点で評価すれば、東京GCに並ぶ足跡がある。

その中でも平成22年の中日クラウン最終日に出した石川遼プロのギネス記録となった「58」というスコアが、ひと際光彩を放っている。
 なお、平成23年日本女子オープン選手権競技は、9月29日〜10月2日の4日間、和合コースをステージに行われる。女子プロの技術がどこまで和合コースに通用するか、
大きな関心事、注目される。

田野辺 薫氏の名コースめぐりより・・・


 

 

 

大きい、中日クラウンズの足跡