名古屋ゴルフ倶楽部
和合コース
6557y Par70(C green) / 6410y par70(N Green)
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和合コース誕生の秘話 昭和40年前後の戦後第2次ゴルフブームの頃、東京丸の内のオフィス街では、「名古屋支社勤務になれば、ゴルフのハンディキャップが一年で5つアップする」と、 昭和3年、東京には東京GC駒沢コース、大阪には茨木CCがあったが、名古屋にはナシ。京都の山科コースまで汽車で3時間ゴトコトと早起きして通っていたのである。 場所は、名古屋東郊外約20キロ、東郷村大字和合字ドンドロの15万坪。都心から地下鉄鶴舞線赤池駅下車、タクシーで5分。ドンドロとはいわくあり気な地名だが、 用地は、狭いだけでなく、土質が小石混じりの粘土質で、「これでは芝が根づかない」と、大谷氏は渋ったが、ゴルフ場がないのは日本の 短く、狭く、変化も多い。だがしかし・・・歴史に残るドラマも多い 18ホール・6063ヤード・パー69。和合は短い、狭いという人がいた。今も居る。グリーンが小さい、固い、バンカーが深い、トリッキーなホールが多い。
主な人気ホールを挙げると、1番(368ヤード・パー4)からいきなり打ち下ろしの1オンチャンスだが、似たような地形、構成のホールとしては、16番(397ヤード・パー4)の、 思わぬドラマが生れたのは、昭和64年日本オープンの最終日、17番(175ヤード・パー3)の池越えで、身長を越える深さの左バンカーに入れたジャンボ尾崎が、 筆者が推奨するのは、大谷光明が、“中山道”と名付けた12番(356ヤード・パー4)である。高いティグラウンドから見下ろすストレートに伸びたフェアウェイは、 海外のコースに詳しい川田太三氏(設計家。JGA常務理事)は、8番ホール(402ヤード・パー4)を、「このホールはデリカシーがあって好き、16番、18番よりも8番こそ 大きい、中日クラウンズの足跡 和合コースといえば、中日クラウンズである。昭和35年以来50年の長い歴史を重ねている。優勝者の中には中村寅吉、青木功(5回優勝)、尾崎将司(5回優勝)の名とともに、 その中でも平成22年の中日クラウン最終日に出した石川遼プロのギネス記録となった「58」というスコアが、ひと際光彩を放っている。 田野辺 薫氏の名コースめぐりより・・・ |
大きい、中日クラウンズの足跡