垂水ゴルフ俱楽部

5661y(5375y) Par70


OUT

IN


昭和56年、垂水ゴルフ俱楽部は、創立30周年(戦後再開)に当たり、「前身の舞子カントリー俱楽部の創立
大正9年から数えて60周年ととして祝う」と決めた。

大正9年、「六甲だけでは冬のゴルフが出来ない}として、明石郡垂水村の丘陵に9ホールのコースが生まれた。
舞子→垂水の歴史の始まりだ。しかし舞子の歴史は12年で終わる。昭和に入って茨木CC、廣野GCなど
本格派が登場。舞子は、昭和7年7月解散、メンバーの大半は廣野に移った。

コースは売却されて太平洋戦争突入までパブリックコースとなるが、昭和19年には、戦争激化で
三菱重工の厚生農園に変身する。

戦後の復活は昭和26年まで遅れた。26年9月23日、芋畑となっていた舞子CC9ホールがゴルフ場として蘇った。
昭和29年7月、18ホール、5955ヤード、パー70に増設。短いが、小さいグリーンと深いバンカーで決して易しくはない。

設計はJ・E・クレーンだが、弟で名コース鳴尾GCを造ったH・C・クレーンが無報酬で働いているから
人びとはそこに鳴尾のDNAを見るだろう。

代表例は15番(210y Par3)だ。池越えの美しいホールだが、距離がある上にグリーンは砲台型で、
さらに2個のガードバンカーががっちり。兄貴分の鳴尾15番も名物パー3だが、攻めて難しいのは、
池とバンカーが二重の垂水15番だろう。

所在地は神戸市垂水区潮見が丘。第二神明道路高丸ICから1分。全国で唯一町のど真ん中に
あるコースだ。12,13,14番そして16番は明石大橋に向かって打つ壮快なホールである。

「美しい日本のゴルフコース」より