浜松シーサイド ゴルフ クラブ

MAIN GREEN 6748y(6343y) Par72

館内撮影禁止!なので、画像を拝借。
テレ朝さんの「極上!ゴルフ場探訪」より・・・



昭和39年2月9日の寒い日、福田富市と弟国三(現、豊社長の父)は、静岡県磐田市を訪れた。磐田の南郊鮫島村地先の、
片山津CCに似た松と葦と砂丘地の湿地帯を視察するためだ。

温床紙の最大大手三善製紙を経営する福田は、金沢と大分に工場を構えていた。ぞの縁で片山津CCの操業に関係。
コース設計は佐藤儀一だが、造成の現場はグリーン委員長福田富市が指揮を執った。改造も手がけた。
以来、世界の名コースを廻ってコース設計を研究「いつの日か自分のコースを造ろう」と、土地探しを始める。

磐田は、西瓜やメロンの温床栽培が盛ん、三善製紙の顧客先という土地柄だ。福田は、鮫島池を中心とした松と葦原と
砂地の湿地帯に注目した。北を天竜川支流〜僧川の区切られ、南は300メートル先に遠州灘、中央近く2万500坪の
水面を持つ鮫島池が広がっている。

夏は遠州灘から吹く海軟風で高原のように涼しく、冬には防風林が寒風を防ぎ温暖。砂地だから排水もよく、
水源もある。なにより砂丘地はゴルフの故郷リンクスランドに通じる。

昭和40年11月13日起工式。参列した赤星四郎は「英国のように砂丘もあり、英国にはない松がある」と言っている。
だが、基本は福田自身の設計哲学「自然がすべて」だった。

コース内には多くの池があるが、自然に生まれたのは鮫島池ただ一つ。他は湿地を掘り下げてその砂をマウンドに
盛るという方法で造った池だ。マウンドは綿密に高さ、大きさを違え、自然にそこにあったかのように見せた。
そうして造ったマウンドを福田は、掘り出し”サンドアップ”と洒落ている。

ほとんど平坦な湿地帯に18ホールだから、各ホールは広く長い。地域外の他OB杭なし、ホール間は110ヤード以上、
天与の自然と正しいショットは報われるとしたモダンクラシックな設計にこだわった気配が残る。
昭和41年10月22日開場。

「美しい日本のゴルフコース」より・・・

 PINE 6748y / MERON 6343y Par72

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