札幌ゴルフ俱楽部・輪厚コース

7066y(6472y) Par72


北海道ゴルフ史の始まりは、銭函は函館かと長い間もめてきた。東京勤務中、駒沢や程ヶ谷の本格ゴルフを経験した者が札幌には多く、
彼らは、競馬場の中や海岸の9ホールを、本格的とみなしていなかった。

彼らは、汽車で30分かけて銭函に通いながら、5年後の昭和7年8月札幌ゴルフ俱楽部を設立。札幌郡豊平町月寒に、ゴルフ界の権威・
大谷光明設計による18ホール・6216ヤード・パー72のツキサップコースを完成させる。北海道初の18ホール。人気を集めたが10年後、
戦争激化によって17年11月閉場する。

昭和20年米軍が進駐、真駒内地区の広大な地域が米軍用に接収され、昭和22年そこには米軍専用の18ホールのゴルフコース、
キャンプ・クロフォードGCが造られた。昭和27年朝鮮動乱後日本人にもプレーが許可され、そこに生まれた組織が札幌カントリー
倶楽部だ。理事長は、後に輪厚の理事長となる道家斉次。しかし昭和34年以降、北海道直営となり、昭和40年遂に閉場となる。

真駒内を失うと知った札幌カントリー俱楽部は、昭和31年12月1日、新しくホームコースを求めて、10数か所の候補地の中から輪厚を
選ぶ。札幌から千歳、苫小牧へ抜ける弾丸道路沿いのおだやかな起伏の山野に、井上誠一設計の18ホールが完成したのは昭和33年
8月10日。因に「輪厚」とは、アイヌ語のウッチナイで”肋骨のような川”という意味だ。

輪厚コースの17番ホールは、17番が終わらないとしょうぶは決まらないといわれるほどの難ホールとして有名。調査に来た井上は
ただひと言「17番の曲がり角の大木の群れは伐らずに残すように」と言い置いてかえっただけ、それが今、プレーヤーを悩ませ
堪能させている。

「美しい日本のゴルフコース」より・・・

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