塩嶺カントリークラブ
6862y Par72
名古屋市中区栄は、東京でいえば丸の内、銀座に匹敵する。CBCのテレビ塔も間近い。昭和37年、大学を卒業した 山市ビルのテナントに出入りするなかに、CBC放送関係者で中日クラウンズトーナメント担当者の呉藤縁がいた。信州 何よりも雄大な景観が、山田を驚かした。「CBCも協力するから」という呉藤の言葉も後押しした。地元出身の東京工業 昭和45年6月11日信州塩嶺高原開発(株)設立、資本金2000万円。社長山田正治。用地買収を開始。用地45万坪のうち この間、唯一山田の心が安まったのは、県庁へ陳情で出かける際、長野CCに立ち寄ってゴルフを練習「ゴルフは 昭和46年3月29日、ゴルフ場起工式。元請・大林組、施工・大日本土木。設計は、大日本土木の関連で上田治。 昭和47年1月21日、信州塩嶺高原開発(株)から分離して、ゴルフ場運営を主とする信州塩嶺高原カントリー(株)を 会員募集は、50〜60万円で販売、名古屋はCBCの子会社CBC企業で50l、首都圏はTBSの子会社TBS興産が 昭和48年5月1日、第1次18ホール・7023ヤード・パー72が本開場。海抜1000メートルの高原のフェアウェイから、 昭和52年7月10日、鈴蘭コース9ホール・3250ヤード・パー36仮オープン。30歳で塩嶺CCの紅顔の社長となった (田野辺 薫氏の「ゴルフの歴史を歩こう。」から) |
しらかば・3番ホールのフェアウェイ中央部にOB杭ではない白い杭が岩の横に立っています。杭には「御座石」と書かれていますが、その詳細は上の右の画像でどうぞ・・・ |