小野ゴルフ倶楽部

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OUT

 

IN

 


小野ゴルフ倶楽部は、昭和35年3月15日に起工し、翌36年11月3日に開場致しました。

当時、この辺りは自然のままの山林地帯でしたが、鴨池は清らかな水をたたえ、晩秋から春にかけて数千羽の鴨が飛来し、人々を楽しませていました。
地域開発の気運にのって、この景勝地にゴルフ場を造りたいという話が地元有志の間に持ち上がり、市から県へ、そして県の要請として広野ゴルフ倶楽部の
理事長であった故乾豊彦氏(当倶楽部初代理事長)にゴルフ場の開発が依頼されました。

コースは、当時コース設計の第一人者上田治氏が、「自然の地形を存分に活かし、ブルドーザーの手をできるだけ入れないようにしたい」という乾理事長の要望に
基づいて設計されました。

こうして、自然の静けさの中に豊かな風格を備えた小野のコースが、広野の姉妹コースとして誕生しました。

以来30有余年、「より良いコース造り」に努めて、ジャパンオープン、関西オープンをはじめ、JGA、KGUが主催する公式競技のほとんどの種目を開催し、
全国的にも「名コース」として高く評価されるまでに至りました。

グリーンは時代の趨勢によって平成6年秋、一年の工期を経てベントグラスに変身しました。

また、これを機にコース全体の見直しを行ない、一段と高い戦略性と美しい景観を求め、鴨池を巡るアウト、山間に入って再び水辺に帰るイン、
きびしいレイアウトと豊かな自然環境のコースを、存分にお楽しみ頂けることと存じます。

「小野ゴルフ倶楽部 コースガイド」より抜粋しました。


廣野ゴルフ倶楽部に育てられ

 「日本一のゴルフ場はどこか」と問われたら、少しでもゴルフ知識のある人なら、その90%が、廣野ゴルフ倶楽部と答えるだろう。
小野ゴルフ倶楽部は、廣野GCのシスター(姉妹)コースである。 平成17年4月18日、筆者は廣野GCをプレー、翌19日小野GCで
1ラウンドした。廣野から小野まで殆んど直線、車で50分である。

廣野の分家か姉妹コースか

 昭和34年頃、兵庫県のほぼ中央部に位置する小野市は、ソロバンの生産量日本一ともう一つ5000羽の鴨が飛来する
13万坪の鴨池だけが自慢の、特徴の少ない過疎都市だった。その頃になるとゴルフ先進県兵庫県では、ゴルフ場を誘致しての地域振興が
流行し始めていた。小野市長は、鴨池を中心にゴルフ場を誘致して、過疎地からの振興を図ろうと計画、兵庫県庁に相談を持ち込んだ。
兵庫県は、その話を、廣野GCの乾豊彦理事長に打診した。戦時中川崎重工明石飛行場の代替滑走路、同社農場として接収されていた
廣野GCのコースを、昭和24年までに、見事アリソン設計の原形に復活してみせた若き廣野GC理事長乾豊彦の手腕に期待したのである。

 乾は、申し出を再三辞退したようだが、一旦引き受けると、まるで廣野GCの姉妹コース、いや第2コースを建設するかのように、
資金、労務面でも全面支援して、昭和36年1月、鴨池をめぐる25万坪に着工した。設計は上田治。上田は、京大在学中から、
建設中の廣野GCでアリソン、伊藤長蔵に従って現場で働き、アリソンの技術を熟知。戦中、戦後を廣野GC支配人として働き、
戦後は乾の下で廣野GC再建に貢献していた。昭和29年に退職、設計家として独立して“東の井上誠一、西の上田治”と
並称される人気があった。生粋の廣野GC育ちである。着工して1年も経たず、昭和36年11月3日18ホール・6880ヤード・パー72が完成する。

乾豊彦の、小野GCに対する扱いは、姉妹コースというより親と子に近い。建設に資金、人手を廻したばかりか、完成すると乾自身が
長い間理事長を廣野GCと兼任、支配人も初代、2代と廣野GC出身者が続いている。因みに現在の廣野GC支配人黒本洋一氏は、
前任は小野GC支配人だった。会員にも、廣野GCと二つ重なっている人が多い。創業時の初回募集で、一般からの入会25万円に対して
廣野GC会員は20万円とサービスした伝統があるからだ。結論すれば、姉妹コースというより分家に近い。

上田治設計の秀作

コース展開は、アウト9ホールが鴨池をめぐり、イン9ホールはややヒーリーながらもフェアウェイの両側を背の高い林立に守られた林間調。
アウトは繊細な戦略性、インは飛距離を求められるホールが中心となる。アウトでは、鴨池を越える7、8、9番ホールが鍵となる。
特に9番(540ヤード・パー5)は、ホップ・ステップ・ジャンプのニックネームがあるように、クラブハウスへ向って打つ第3打池越えの
成功、失敗がスコアを左右する。即ち、1打池越え、2打が計算通り打てないと、4打目、5打目の池越え、あるいは200ヤード近い
池越え第3打となるから、このホールは、心して正確にプレーしたい。

インコースでは、10番(375ヤード・パー4)の第1打落下点の近くに、フェアウェイにせり出した大きなクロスバンカーがある。
廣野GCの2番ホール第1打の塹壕型クロスバンカーを連想したりしたが、小野GCをよく識る黒本廣野GC支配人によると、
「皆様よく飛ぶようになって、殆んどの人が悠々と飛び越えます」ということだった。しかし設計美学上はやっぱり、あの位置に欲しいトラップだ。

インコースでは、13番(470ヤード・パー4)が、森に包まれたロンゲスト・ミドルで、ホールハンディNo1である。正確に大きく飛ばそう、
フェアウェイは広い。廣野GCは名作である。「名作とは力を揮うのではなく、力を抑えた作品である」(仏国の文明批評家サント・ブーヴ)
との言葉がある。廣野GCのコースは厳しい、それでいてやり過ぎがない。名作である。対して小野GCには、約20ヤードを打上げる
15番(375ヤード・パー4)、約20メートルを打下してゆく第1打の16番(530ヤード・パー5)の型破りな展開、そして米国の
パインバレーやメリオンのラフリバーを模倣した景色など、廣野GCにはない自在な楽しみ方、次男坊らしいやり過ぎもあって、
それが小野GCの長所の一つであろう。

小野GCのクラブハウスはまるで「町家」である。露路の階段を2、3段上ると入口である。クラブハウスに贅沢は要らぬ、という
乾初代理事長の意見で生れた質素な佇いの建物である。クラブハウスからアウト・インのスタートまでの距離が全く同じ、
乾理事長と設計者上田治が、実際に歩いて測ったといわれている。

それはさておき[閑話休題]

 本家筋の廣野GC側の希望は、「廣野GCは名コースだが、平均的メンバーには難しすぎる。小野GCは、良いスコアで楽しく廻れる
コースにしよう」という狙いだったらしい。設計の上田治も、ブルドーザを入れて平坦なコースを造る計画で始めたが、
乾理事長が原地形にゾッコン、自然を生かそうと主張、しだいに難ホールが増えて、「ひとつ狂えばすぐ50」のコースになってしまった、
と『二十年史の歩み』(座談会)に泣き言が出ていて、乾氏が謝っている。

所在地  兵庫県小野市来住町1225
コース規模  18ホール・6925ヤード・パー72
          コースレート 73.9
設 計 者 上田 治
開場月日  昭和36年11月3日

田野辺 薫氏より・・・


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