廣野ゴルフ倶楽部に育てられ
「日本一のゴルフ場はどこか」と問われたら、少しでもゴルフ知識のある人なら、その90%が、廣野ゴルフ倶楽部と答えるだろう。
小野ゴルフ倶楽部は、廣野GCのシスター(姉妹)コースである。 平成17年4月18日、筆者は廣野GCをプレー、翌19日小野GCで
1ラウンドした。廣野から小野まで殆んど直線、車で50分である。
廣野の分家か姉妹コースか
昭和34年頃、兵庫県のほぼ中央部に位置する小野市は、ソロバンの生産量日本一ともう一つ5000羽の鴨が飛来する
13万坪の鴨池だけが自慢の、特徴の少ない過疎都市だった。その頃になるとゴルフ先進県兵庫県では、ゴルフ場を誘致しての地域振興が
流行し始めていた。小野市長は、鴨池を中心にゴルフ場を誘致して、過疎地からの振興を図ろうと計画、兵庫県庁に相談を持ち込んだ。
兵庫県は、その話を、廣野GCの乾豊彦理事長に打診した。戦時中川崎重工明石飛行場の代替滑走路、同社農場として接収されていた
廣野GCのコースを、昭和24年までに、見事アリソン設計の原形に復活してみせた若き廣野GC理事長乾豊彦の手腕に期待したのである。
乾は、申し出を再三辞退したようだが、一旦引き受けると、まるで廣野GCの姉妹コース、いや第2コースを建設するかのように、
資金、労務面でも全面支援して、昭和36年1月、鴨池をめぐる25万坪に着工した。設計は上田治。上田は、京大在学中から、
建設中の廣野GCでアリソン、伊藤長蔵に従って現場で働き、アリソンの技術を熟知。戦中、戦後を廣野GC支配人として働き、
戦後は乾の下で廣野GC再建に貢献していた。昭和29年に退職、設計家として独立して“東の井上誠一、西の上田治”と
並称される人気があった。生粋の廣野GC育ちである。着工して1年も経たず、昭和36年11月3日18ホール・6880ヤード・パー72が完成する。
乾豊彦の、小野GCに対する扱いは、姉妹コースというより親と子に近い。建設に資金、人手を廻したばかりか、完成すると乾自身が
長い間理事長を廣野GCと兼任、支配人も初代、2代と廣野GC出身者が続いている。因みに現在の廣野GC支配人黒本洋一氏は、
前任は小野GC支配人だった。会員にも、廣野GCと二つ重なっている人が多い。創業時の初回募集で、一般からの入会25万円に対して
廣野GC会員は20万円とサービスした伝統があるからだ。結論すれば、姉妹コースというより分家に近い。
上田治設計の秀作
コース展開は、アウト9ホールが鴨池をめぐり、イン9ホールはややヒーリーながらもフェアウェイの両側を背の高い林立に守られた林間調。
アウトは繊細な戦略性、インは飛距離を求められるホールが中心となる。アウトでは、鴨池を越える7、8、9番ホールが鍵となる。
特に9番(540ヤード・パー5)は、ホップ・ステップ・ジャンプのニックネームがあるように、クラブハウスへ向って打つ第3打池越えの
成功、失敗がスコアを左右する。即ち、1打池越え、2打が計算通り打てないと、4打目、5打目の池越え、あるいは200ヤード近い
池越え第3打となるから、このホールは、心して正確にプレーしたい。
インコースでは、10番(375ヤード・パー4)の第1打落下点の近くに、フェアウェイにせり出した大きなクロスバンカーがある。
廣野GCの2番ホール第1打の塹壕型クロスバンカーを連想したりしたが、小野GCをよく識る黒本廣野GC支配人によると、
「皆様よく飛ぶようになって、殆んどの人が悠々と飛び越えます」ということだった。しかし設計美学上はやっぱり、あの位置に欲しいトラップだ。
インコースでは、13番(470ヤード・パー4)が、森に包まれたロンゲスト・ミドルで、ホールハンディNo1である。正確に大きく飛ばそう、
フェアウェイは広い。廣野GCは名作である。「名作とは力を揮うのではなく、力を抑えた作品である」(仏国の文明批評家サント・ブーヴ)
との言葉がある。廣野GCのコースは厳しい、それでいてやり過ぎがない。名作である。対して小野GCには、約20ヤードを打上げる
15番(375ヤード・パー4)、約20メートルを打下してゆく第1打の16番(530ヤード・パー5)の型破りな展開、そして米国の
パインバレーやメリオンのラフリバーを模倣した景色など、廣野GCにはない自在な楽しみ方、次男坊らしいやり過ぎもあって、
それが小野GCの長所の一つであろう。
小野GCのクラブハウスはまるで「町家」である。露路の階段を2、3段上ると入口である。クラブハウスに贅沢は要らぬ、という
乾初代理事長の意見で生れた質素な佇いの建物である。クラブハウスからアウト・インのスタートまでの距離が全く同じ、
乾理事長と設計者上田治が、実際に歩いて測ったといわれている。
それはさておき[閑話休題]
本家筋の廣野GC側の希望は、「廣野GCは名コースだが、平均的メンバーには難しすぎる。小野GCは、良いスコアで楽しく廻れる
コースにしよう」という狙いだったらしい。設計の上田治も、ブルドーザを入れて平坦なコースを造る計画で始めたが、
乾理事長が原地形にゾッコン、自然を生かそうと主張、しだいに難ホールが増えて、「ひとつ狂えばすぐ50」のコースになってしまった、
と『二十年史の歩み』(座談会)に泣き言が出ていて、乾氏が謝っている。
所在地 兵庫県小野市来住町1225
コース規模 18ホール・6925ヤード・パー72
コースレート 73.9
設 計 者 上田 治
開場月日 昭和36年11月3日
|