古賀ゴルフ・クラブ

Bent 6820y Par72
Bermuda 6365y(5963y) Par72


訪問時はクラブハウスを建て替え中でした。

OUT

IN

 日本オープン2回「自他ともに九州一」

 九州では、2回日本オープンが開催されている。平成9年(C・パリー優勝)平成20年(片山晋呉優勝)の2回である。
九州全土の他のコースで行われたことはない。古賀ゴルフ・クラブは、自他ともに許す九州一の名コースということである。
 古賀ゴルフ・クラブの歴史は、大正15年5月、9ホールのコースとして開場した福岡ゴルフ倶楽部大保コースまで遡る。
場所は、現在の小郡市、南北朝の時代北朝派足利軍と南朝派菊池軍が激しく戦った古戦場大刀洗である。初めは川崎保設計の9ホール、
2800ヤード・ボギー36。雲仙ゴルフ場に次ぎ、九州2番目のコースだった。

 昭和9年10月、18ホール、6520ヤード・パー72に拡張、新しく加わった9ホールのアウトは、昭和2年の第1回日本オープンで、プロを押さえて
優勝した人気絶大のアマチュア、赤星六郎設計だった。戦争中陸軍に接収され、クラブも解散するが、コースの持主大保土地(株)は残された。
戦後は、大保の残党が大保に近い福岡市郊外の二日市町にショートコース(6ホール)を造り、筑紫カンツリー倶楽部の看板を掲げて、
昭和22年頃の1年を過ごした。芝チョロチョロのグリーンにブリキ缶を埋めたホールカップだったそうだ。それを見かねた西日本鉄道が、戦前から
大保コースを後援していた経緯もあり、糟屋郡古賀町に所有していた海岸沿い7万坪を提供、昭和23年5月、中井洗之設計の9ホールのゴルフコース
福岡国際カンツリー倶楽部が生まれた。現在のインコース9ホールに当たる部分である。

 しかし大保の残党たちは、9ホールでは我慢できない。なんとか18ホールをという願望から、一大奇策に出る。隣県佐賀県の唐津CC9ホールと
古賀町の福岡国際CCを合併、バスでつないで1時間40分もかかる18ホールの九州カントリー倶楽部を設立したのだ。
 こんな奇策が長続きする筈がない。昭和32年9月10日、唐津CCと離縁、9ホールに戻り福岡国際CCを古賀ゴルフ・クラブと改称した。
すぐその後の12月26日、18ホールに増設している。旧ホールをインコース、新設のアウト9ホール及び旧9ホールを改造して、全体設計を
上田治設計で開場した。現18ホールの誕生だ。

古賀GCの“ヘル・バンカー”

筆者は7年前、『古賀ゴルフ・クラブに英国を探しに行く』という文章を書いたことがある。その書き出しは、
「私は、古賀ゴルフ・クラブが好きである」で始まる。再録する。
「西鉄宮地岳線、古賀ゴルフ場前駅の県道を一本跨ぐとすぐゴルフクラブという構図は、コースができると追いかけて鉄道がのびた
スコットランドの故事を思わせる。斜めに走るエントランスロードを上ると見えてくる白いマリンクラブのクラブハウスに似た建物を、
私はすっかり気に入っている。ゴルフクラブのものとは思えない姿っぷりを気に入っている。
白い水兵帽のまま年老いた、老水兵といった趣である。 私は、英国型ゴルフコースが好きだ。クルーデンベイもいいし、セント・ジョージス
も好き、オールドコースは言わずもがなである。私は古賀ゴルフ・クラブに英国を探しに行くのかも知れない」

 古賀GCに英国を探すとすれば、判りやすいのは、16番(365ヤード・パー4)グリーン左の深いヘル(魔物)バンカーだ。
ヘルバンカーの本家はセントアンドリュース・オールドの14番フェアウエイ第2打落下地点付近に置かれた深くて大きいバンカーだ。
開口部縦23メートル、横21メートルと大きく、深さは2.5メートル。バンカーというより巨大な砂の池だ。壁は芝を煉瓦積みにした直立型だ。
古賀のヘルバンカーは、開口部12メートル、横5メートル、グリーンバンカーだから本家ヘルよりもぐーんと小さいが、深さは3.7メートルと
遥かに深い。さらに開口部の面積200平方メートルに対し底部55平方メートルという漏斗型になっている。壁は本家の直立型に対し、古賀16番は
55度。壁は芝の煉瓦積みに対しこちらは砂を凝固材で固めている。「固めてあるから55度の傾斜を利用して、パターか7番アイアンで転がし上げる
方法もあります」と、福山猷梯元支配人が実演してくれたことがあったが、グリーンは馬の背で小さい。手加減を誤ると馬の背を越えて向うのバンカーへ
コロコロという恐れもある。一番の方法はバンカーに入れないこと。365ヤードの2オン、容易なヤーデージだが、むしろ第2打をグリーン入口付近に
止めてパターで3オン、パーセーブが賢明かもしれない。

上田治の英国流設計

 3番(341ヤード・パー4)は攻め方を誤らないとイージーなホールだ。しかし高く積み上げたグリーンが、向う下がりのグリーン面になっているので、
第2打で、高いボールを打てるかどうかが鍵。6番(434ヤード・パー4)は第1打がブラインドになっていて、第2打も長く残りやすい。問題は左グリーンを
攻める第2打が右からの攻めになった場合、グリーンの造りが向こう下がりになっているので2オンで行くか、レイアップ3オンで安全策をとるか。
パー4のホールだけに判断が微妙になる。3番、6番はパー3ではないが、設計者は難度を稼ぐために、パー4ホールにレダン型グリーンを導入したのだ、
と筆者は解釈している。

 レダンタイプのグリーンの代表は、スコットランドの名門ノースベーリツクGC、15番(パー3)だ。ねじれたテーブルグリーンの前後に深いバンカー、
グリーンは奥に傾いていて、1オンは難しい。2オンパーセーブの戦略を考えろと言っているわけだ。英国では後ろに傾斜させたグリーンは尊敬され、
後ろを高くした受けグリーンは軽蔑されるそうだ。レダンを試みたければ古賀GCへ行けばいい。英国を発見できるだろう。

 2番(389ヤード・パー4)は極端な右ドッグレッグ、14番(533ヤード・パー5)は、第1打の狙いが極端な左ドッグレッグとなる。
しっかり正確に、ルート通りの距離を飛ばさないと、もう1打ストロークを貢ぐことになる。特に14番はグリーンが高く掲げられていて、グリーンオンが
難しいだけに、第1打の飛距離が、屈曲点越えに必要な距離と地点を確保できるかどうかが、パーセーブの前提になる。

 設計者の上田治は京大在学中に、廣野GC新設の現場で働き、アリソンの影響を受けた。さらに昭和11年のベルリンオリンピックでは、
日本水泳団コーチとして参加(本人は背泳200メートル日本記録保持者のキャリアがある)、ベルリンからの帰途、日本ゴルフ協会委嘱で、
英国各地のコースで研究を重ねて帰国、すぐに大阪ゴルフクラブ(淡輪)を設計するなど活躍が始まる。英国流の感性、知識の濃い人だ。
古賀GCもその傾向で造られている。

 グリーンは2グリーンで造られているため1個は小さい。平成9年日本オープン前に、上田の下で働いた鈴木正一が主グリーンを改造、
約20%大きくしたがまだ500平方メートル級と大きくはない。平成20年日本オープン前には、谷平考設計でグリーン面の戦略性を主に改造されている。
 平成20年日本オープンでは、優勝した片山晋呉が、ドライバー抜きでひたすらフェアウエイキープ狙いに徹した。対して17歳で2位に入った石川遼は、
徹底して第1打ドライバーの飛距離重視を貫いて、予想もしない2位を獲得した。どちらも、古賀GCの攻め方である。避けるべきは迷いだろう。
 (注・西鉄宮地岳線古賀ゴルフ場前駅は、5年前廃止され、現在はJR鹿児島本線古賀駅から800メートルです)

 所在地    福岡県古賀市鹿部1310
 開場日    昭和28年9月10日
 コース    18ホール、6820ヤード・パー72
 設 計    上田 治
 コースレート 74.1

(田野辺 薫氏の「ゴルフの歴史を歩こう。」から)